本当によく耳にするようになった乳幼児虐待の事件。
うんざりしています。
虐待してしまう親の気持ちが全く分からない、とは言いきれません。
私にももうすぐ3歳になる息子がいますが、
特に自分が疲れているときに、彼のいたずらが絶えなかったり、
言うことを聞かなかったりすると、力で押さえつけたいと思うこともあります。
ここで、理性を働かせ、ぐっと我慢するのが”大人”、”親”というものだと私は思っています。
子供を殴ってどんな良いことがあるのでしょうか。
”しつけ”だとおっしゃる方がほとんどのようですが、
子供はただ親を恐れ、その行為自体が悪いことだとは思いません。
なんのしつけにもなりません。
叩く、殴る、蹴ることで、子供は余計泣き、親は余計苛立ち、興奮し、
またもっとひどい虐待へとつながっていき、その悪循環は続きます。
子供は萎縮し、だんだん大きくなっていくにつれ、
どうして自分が殴られるのかが分からず、
きっとどういうわけか自分のせいなんだと思い込むようになっていく。
そして、何事においてもそういった姿勢で挑むようになります。
なにか悪いことがおきれば、全て自分のせい、自分は出来が悪い、自分は醜い。
となんでも悪いほうに考えるようになります。
小さいころから虐待されて育つ子供。
自分には逃げ道がないと思い込んでいます。
家で何をされているか、助けてほしいと話す子供は少ない。
他人に助けを求めたことがばれれば、また余計にしかられる。
そして、何よりも、親に愛されたいがためにいい子でいようとする。
幼少時期は特に閉ざされた家という檻の中で、何をされても、
子供に逃げ道はありません。
子供に助けを求める力はありません。
だからこそ、周りの大人に気がついてほしいのです。
子供を虐待する親には三通りあると思うんです。
完ぺき主義の親。
自分本位の親。
そして、その二つの間で葛藤してる親。
今日、情報は溢れ、色々な選択肢が増え、便利な社会となり、
日本社会もだんだんと解放的になり、働きに出る女性も増え、
少子化が進み、核家族化もう進み、と変化が多く見られます。
近所づきあいもだんだんと減り、
人と人との関わり合いが少なくなってきているな、とよく実感します。
私が子供だったころは、近所どうしで子供をあずけあったりしていたり、
祖父母に面倒をみてもらったり、という家庭がよくありました。
今では、地域で協力しあって育児をする、外部の助けをかりて育児をする、
ということが少なくなって来ているように思えます。
反対に、父親の育児参加などのうれしい変化も見られますが。
やはり、人とのかかわりを持たず、毎日お話もできない小さい子供と過ごすのは、
どうしてもストレスがたまってしまうのではないかと思います。
また、選択肢が増え、とても便利になったこの社会。
夕食一つにしてもそうです。
スーパーに行けば、ずらりとならんだ出来あえのおかず。
今までは、夕飯作りは女の仕事だったのが、
別に作らなくても、金さえ払えば時間を費やさなくても、手に入ります。
女性の生き方もさまざまな形が増えてきました。
女性の選択肢も増えました。
独身が楽という女性、結婚はするが子供はいらないという女性、
シングルマザー、専業主婦、働きに出てだんなが子育てをする家庭、
子供を保育園に預けて仕事に出る女性、
自宅で仕事をしながら子育てをする女性、
など、さまざまです。
私は、個人的に女性の選択肢が増え、社会進出の場が増えてきていることは、
とてもうれしいことと思っています。
ただ、女性の可能性が増えたことで、女性=子育て、という考えが薄れ、
思い通りに行かない子育てに、
”私の人生こんなはずじゃなかった” ”もっとやりたいことがあるのに”
と苛立ちを覚える女性も多いのではないかと思います。
子供が出来る前は、おしゃれをして出かけたり、
きちんと格好をして会社に行っていた。
しかし子供が生まれて、自分をかまう暇がなくなり、
化粧するなら寝たいってなほど疲れきっている余裕のない自分が
嫌になることも多いと思います。
その気持ちを、理解し、サポートしてくれるだんなさんの存在が
重要になってくるのではないでしょうか。
妊娠、出産で、体型も変わり、生活形態もがらりと変わり、
そんな急激な変化についていけない奥さんへのいたわり、
とても大切だと思います。
一番近くにいるだんなさんの理解とサポートがどんなに精神的な支えになるか。
あとは、ママ自身の気持ちの持ちようだと思います。
これだけ選択肢が増えたいま、仕事は子供が少し大きくなってからだってできる。
買い物だって、会食だって、子供が小学生にもなれば、いつだってできるようになる。
子供が小さくて、ママを頼りっきりで、かわいい時期なんて3年ぐらいしかないんです。
人生の内、3年間ぐらい子供とべったりで、化粧をしなくたって、ださい服着てたって、
本すら読めなくたっていいじゃないか〜、
なんて落ち着いて考えると思えるのですが、
実際子育てしてると、いつ終わるんだ〜と
なっが〜いトンネルみたいな感じに思えてきますよね。
たまには、一日でもだんなさんに子供を預けて出かけることだって可能だし、
少しお金をだしてベビーシッターを雇うことだって可能。
そのくらいだった、イライラがたまって、子供にあたってしまうよりよっぽどましだと、
私は思います。
子供を持った以上、自分の幸せだけを追求することはしてはならない。
かといって、子育てを完璧にする必要もない。
”完璧”は存在しないのです。
子供が安心できる環境作り、子供の教育、将来を考えた上、
その範囲内で自分の幸せ、やりたいことなどを追求し、欲求を満たす、
なんていうのが理想なのではないでしょうか。
子育てだけ頑張りすぎてもいけない。
親の欲求ばかりを追求してもいけない。
子供の面倒だけみろ、でもなければ、自分の好きなことだけやればいい、でもない。
そのバランスが大切なのではないでしょうか。
完璧な人間なんていないし、みな欠点は必ずある。
しかし、大人になりきれていない大人は増え続ける。
社会で生きていくためのマナーや常識が欠陥し、感情コントロールができない。
可能性や選択肢が増え、便利になるにつれ、”自分”への欲求は増える。
自分を犠牲にするということができなくなる。
子供優先ではなく、自分優先。
責任感がない。
そういう人たちが親になる。
その子供たちは苦労する。
子供を持つ。
それは自分、自分の時間、生活をある程度犠牲にするということでもある。
そして子育てとは、
子供の人格形成、将来など”責任”を抱えるのだとということでもある。
それができないのなら、子供を持つことは考え直したほうがいいと、
私は思っています。
これ以上、家庭内暴力で苦しみ、傷つく子供を増やさないでください。
幼少時代についた傷は、一生治りません。
一生その傷に悩まされ、付きまとわれ、どうすることもできない人もいるのです。
暴力や暴言は、子供から自信を奪います。
そして自信のない子供は外で上手な人間関係が築けなくなります。
暴力は、だたそのときだけ痛いのではないのです。
その痛み、傷は癒えることなく、大人になってまた何倍にもなって戻ってきます。
子供の将来は無限大です。
どうか大切に育ててあげてください。
たくさんの愛情を注いであげてください。
何千分の一、何万分の一、もしかしたら何億分の一という確率で、
そのお子さんを授かったのかもしれません。
せっかく親として選ばれて生まれてきて来てくれたお子さんなんです。
大事に大事にしてあげてください。
世の中には、お子さんの授からない方や、
大病を抱えるお子さんをお持ちの方、
事故や病気でお子さんを無くされた方、
いろんな事情でお子さんと一緒にいられない方や、
望ましいとはいえない境遇にいらしゃっる方々は大勢いるのです。
子供に不幸が起きてから、子供が病気になってから、
なにかが起きてから悔やんでも遅い。
平凡な毎日こそ、実は貴重で、一番幸せなのかもしれません。
そして、それに気が付けるかが幸せに近づく鍵なのかもしれません。
子供は宝です。幸せな子供たちが増えますように。。。
March, 2006
華愛-KANALU-
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